ふらごがく

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ポケマスフランス語版考察(1)クダリの名前と発音


こんにちは。ふらごがくです。

語学を続けるかたわら、ポケモンスマホゲーム Pokémon Masters EX、通称ポケマスを始めてしまいました。ポケマス、日本語に加えて韓国語、中国語繁体字、英語、フランス語、イタリア語、ドイツ語、スペイン語の8言語対応で、外国語の勉強になるんですよね。

ポケモンはもう長い間触れていなかったので、始めた時は「まあ勉強のためにな……」程度にしか思っていなかったんですが、知っているキャラクターの掘り下げやシリーズの垣根を越えた交流があって、なんやかんや楽しくはまっちゃったんですよね。初めてアプリゲームで課金しました。

今回はなかでも気になったキャラクター、サブウェイマスターノボリとクダリ……ポケモン最新作でえらいことになっている2人のうち、クダリのフランス語版の名前について書いてみたいと思います。

Chamsin (クダリ)という名前、なかなか奥が深そうです。

それでは行きましょう!

 

①:熱い暴風〜Chammal (ノボリ)とChamsin (クダリ)〜

 フランス語版のサブウェイマスターは、Chammal (ノボリ)とChamsin (クダリ)という名前になっています。これは、意味としてはどちらも北アフリカアラビア半島を吹く高温の強風のことで、どちらも1年を通して吹きますが、chammal が主に夏に、chamsin は主に春に活発で、現地に巨大な砂嵐を引き起こすとのことです。

 これは、各国語版のサブウェイマスターが電車や鉄道の上りと下りにかけた名前になっているのを考えると、やや不思議なネーミングのような気がします。ドイツ語版の Her  (ノボリ)と Hin(クダリ) は端的でいいですよね。こちらへ来る=ノボリと、あちらへ行く=クダリ。

 いや最新作ではノボリが行ってしまったわけですが……(突然の動悸)

 この chamsin 、ウィキペディア英語版によれば時速140キロにも達するそうです。すごい暴風ですね。その砂嵐は1798年にエジプト遠征へ向かったナポレオンをも苦しめたそうです。

 大嵐を連れてくる、激しく熱い風。

 こう考えると、案外フランス語版のネーミングはマッチしているのかもしれません。

 勝利の先の境地に向かって爆走していく、サブウェイマスターの激しさ(特にノボリの)を表しているのかな。いい名前ですね。


 ところでこの Chamsin(クダリ)、フランス語ではどういう発音になるんでしょうか?

 フランス語のメジャーな発音規則にならうと、chamsin は「シャムサン」のような音になりそうに見えます。実際、フランス語圏のプレイヤーもそう発音しています。

 ですがこの「暴風 chamsin」、どうやらフランス語のことばとしては「シャムサン」とは違う発音になるようです。むしろ、日本語で言う「カムシン」に近くなります。

 どういうことか、整理してみます。

②:Chamsin の発音はフランス語の一般的な規則とは違う

cham-

 まず、 chamsin の「ch-」は、確かに多くの場合で sh の発音 /ʃa/ になります。この音は日本語では「シャ」に近い音として表現されます。 ココ・シャネルの Chanel とか。ラング・ド・シャ langue-de-chat のシャとか。

 が、この ch は時に k の音にもなります。多分、多くの人に伝わりやすい例がカオス、混沌でしょう。フランス語でカオスは chaos と書き、日本語の カオ に近く(というか、同じ音に)なります。もっと分かりやすい例はキリスト Christ  ですね。 フランス語でも同じつづりで、 /kʀist/ と発音し、日本語だと「クリスト」に近くなります。

 では、どんな c(h) が k になるんでしょう? 

 一言で言えば「フランス語にとっての外来語に由来する言葉」です。 Chaos はギリシャ語からラテン語、口語ラテン語を経由してフランス語へ。 Christ  はヘブライ語からギリシャ語、ラテン語へ取り入れられ、口語ラテン語からフランス語へ(辞書によれば)。フランス語の ch や kh は、ラテン語では c や kh、ギリシャ語の X に当てられたそれっぽい音、つづりだそうです。

 Chamsin も外来語です。北アフリカアラビア半島で吹く暴風のことですから、アラビア語に由来します。この暴風をアラビア文字では خمسين と表記し、アルファベット表記にすると khamsīn となります。

 そして、今でこそ「正しい」言葉は出版された辞書などの書き物で学ぶわけですが、昔の言葉は口伝や写本で伝えられていきます。ですから、ことばのつづりはすぐに統一されるわけではありません。フランス語のchamsin という言葉にも表記揺れがあり 、歴史的には khamsin や khamsim 、kansim などとも綴られてきたようです。なかでもおそらく、 khamsin がメジャーなつづりだったようです。

 Chamsin は khamsin だった。ここまで来ると、なぜ chamsin がカムシンになるのか予想がついてきます。そう、フランス語では h を発音しません。したがって khamsin だと「kamsin」のような発音になり、ka カ の音が残るわけです。Chamsin と書きながら khamsin の発音を引き継いでいるんですね。

 (ところが当のアラビア語ではむしろ k のほうを発音せず、 khamsin はハムシンのような感じになるのですが……。もうなんのこっちゃという感じですね。)

 ここまでで、なぜ chamsin の cham の音が カム に近いのか、ひとまず納得できてきました。

 では、in はどうしてアンではなく、インになるんでしょう?

-in

 フランス語のだいたいのことばでは、最後に つく - in は /ɛ̃/ と発音し、日本語で書くとアンに近い「鼻から抜ける」と言われる音になるんですが、

(もっと詳しく書くと、 /ɛ̃/ は唇はイの形、舌は後ろへ引いたまま口の中ではやや上にして、「アン」という声を口からではなく鼻から抜けるように出します。「アルセーヌ・ルパン」のパンです。フランス語にはこういう鼻から抜ける音が4種類あり、vin ワイン、pain パン、chien 犬、un ひとつの、on わたしたちが といった日常生活でよく使う単語で出てきます。

 するとchamsin の -in もアン  /ɛ̃/  の音になりそうな気がします。ところが、辞書によるとアンではなくイン /in/ という音になり、鼻から抜ける音ですらないんです。

 どうしてアンではなくインになるんでしょう?

 これもおそらく、chamsin の歴史的なつづりに由来するのではないでしょうか。

 見てきたように、フランス語の chamsin という言葉には khamsim 、kansim というつづりもありました。これはただ最後の n が m になっただけに見えますよね。ところがこの最後が m になると i の部分の発音も変わってしまうんです。i は鼻から抜ける音ではなくなり、発音はイム /im/ となります。

※ここでは先ほどの「シン」と区別するために「イム」と表記しましたが、実際にはこのムは日本語のむではなくて、口を閉じて出す「ん」の音です。

(ただし、語末の im も直前に a があって aim の並びになっていると、この部分の発音は /ɛ̃/ で、また鼻から抜けるアンに近い音になります 。例として essaim ハチの群れ は /e-sɛ̃/ で、エサン のような感じ。フランス語を初めてやってみる人の心を挫きにきますね。)

 さて、どうして in とか im とかこんなややこしいことになったんでしょうか?

 im も、chamsin の元のアラビア語に戻ると納得がいきます。先ほど خمسين のアルファベット表記が khamsīn となるといいましたね。よく見てみましょう、ここ、i の上に小さな横棒がついています。

 この横棒は日本語でもメジャーな記号ですね。「太郎」をローマ字にするとき「Tarō」と o の上につけたのはこの横棒です。この横棒はマクロンといい「これがついた音は伸ばして発音してね」という意味があります。

(つまり「タロ」じゃなく「タロー」ね、ってことです。)

先ほどの khamsīn 、アラビア語 خمسين に話を戻すと、このことばは カムシーン のような発音をしますよ、という意味になります。このマクロンがあるから、この in はインの音だとわかるわけです。

 ところが悲しいかな、フランス語にはこの横棒マクロンがありません。

 ここまで来ると、昔々に今のフランスになるあたりに住んでいた人のことを想像させられます。マクロン無しで、アラビア語の カムシーンを自分たちのことばで表したい。うーん、khamsin? でも自分たちのことばでは in はアンになるし。im ならイの音は残るけど、でも最後の音って m ではないしなあ……。 実際のところがどうだったのかはわかりませんが、でもこんな感じだった気がしませんか?

 

 現在、最大級のフランス語ウェブ辞典で chamsin と入力すると「もしかして、 khamsin ?」と誘導されます。どうやらアラビア語のカムシーンは khamsin として、横棒無しで定着しているようです。

 

 chamsin はخمسين で、 khamsīn だった。こう考えると、シャムサンがカムシンだった理由も納得できます。

 

結論:ポケモンからフランス語の歴史に思いを馳せる

 

 

 

 要するに、chamsin はkhamsīn とつづられていた名残りで、/kamsin/ カムシンという変則的な発音になるのだと思います。

 ここまで調べながら、普段はあまり考えていなかったフランス語の歴史を思うようになりました。きっかけはクダリのフランス語名が気になっただけだったのですが、なかなか遠いところまで来たものです。

 とはいえ、クダリの名前としての chamsin が、フランス語の「暴風」の chamsin と同じ発音であるとは限りません。日本語の名前でも、同じ漢字でいろいろな読み方をしますよね。公式のフランス語音声はないのかな、アニメのフランス語吹き替えとか。ポケマスは音声は日本語か英語しかないんですよね。気になるなあ。

 というわけで、フランス語版のクダリの名前について考えたことをつらつらメモしてみました。

 はやくノボリさんの復刻こないかなあ。クダリだけ復刻されたの、最新作のことを思うとキツい! わたしのパシオではクダリさんがノボリさんを寂しく待っています。つらい。

 

 今度はクダリさんのフランス語版セリフを、日本語や英語でのバージョンと比べて語ってみたいですね。実は、ノボリさんのほうはブラック&ホワイト版の翻訳(とキャラの掘り下げ)について語りたいことが山ほどあるのですが……! 

 早いうちに文字にしたいですね。

 

 それではまた、A bientôt !